第7回 青春かながわ校歌祭のご報告
不順な天候の中、奇跡的な好天に恵まれた平成24年11月25日(日)に神奈川芸術劇場(KAAT)において「第7回青春かながわ校歌祭」は開催されました。前日は雨、翌日はもっと冷たい雨。当日だけが「日向ぼっこ」の言葉思い浮かべられる温かな日差しの小春日和でした。
<本番>
出場は25校。翠嵐は最後から2番目、24校目の出場です。しんがりは幹事校を務める横浜平沼。
今年は日程の関係で在校生が参加できず残念でしたが、中学30回卒の大先輩から高校60回卒の若者まで年齢差60年を超える113人の表情は高校生に戻ったように若々しく輝いていました。
昨年は大幅に持ち時間をオーバーしたので今年の目標は「凛とした入退場」という目標を舞台監督の山崎俊一(高21)君が掲げました。
まず、「凛とした入場」はクリア。
最初は自由曲「ドレミの歌」。会場を巻き込んで歌ってもらう狙いも成功でした。アヒルの会のリーダー、有賀伸興(高13)さんが掲げるパネルに合わせて、会場から「ド」「レ」「ミ」の声が上がりました。
2曲目の「第一応援歌」は腕を振り上げ大声で斉唱しました。伴奏には卒業したばかりの若者がトランペットを高らかに吹き鳴らしてくれました。すでに応援部は廃部となっていて彼らは初めて聴く応援歌でした。応援のリードは高校21期応援団長小西庸二君。
そして「校歌」。旧制、新制、統合後など複数の校歌を持つ学校が多い中、我々の唯一の校歌「美なりや翠嵐…」は何回聴いても名曲だという思いを強くしました。
校歌のリードとVエールは高校20期応援団長藤田敬君。大団旗を保持するのは旗手樋口圭(高42)君。校歌の2分半の大団旗水平保持も立派にやり遂げてくれました。
最後に横浜平沼にエールを送り「翠平戦」の甘酸っぱい思い出に一瞬つかることができました。
そして「凛とした退場」も成功。会場からは花束が投げ込まれました。
<打ち上げ>
終わった後は「KAAT」1階の階段で記念集合写真の撮影。これで、「第7回青春かながわ校歌祭」の予定行事は終わりました。
そのあとは希望者の参加による「打ち上げ」を会場から徒歩1分の「ホテルJALシティ関内・横浜」1階レストラン「SILK」において開催しました。出演者、スタッフ、観覧者の希望者80人が集まり、成功の余韻に浸って大いに盛り上がりました。毎回参加者が増え、まさしくミニ同窓会の様相です。
「翠嵐百周年」の募金のお願いがあり、自分の関わるサークル活動のPRなどもされ、皆さんの日ごろの活動の様子を垣間見ることもできました。また、来年2月11日に予定されている高校22回卒主管の「第8回 翠嵐音楽会」に出演するサックス奏者井上淑彦(高22)君がレコーディングのリハを終えて駆けつけ、素晴らしい演奏を披露してくれました。最後に高校16期応援団長夏目田孝雄さんのリードで校歌を高らかに歌い、散会いたしました。
<準備>
7回目の今回は準備を早くスタートしました。3月に第1回実行委員会を開き、本格的な準備が始まりました。実行委員は5人増えて19人。検討は多岐にわたりました。曲目はもちろん、練習日の設定、入退場、演出、応援席への案内、打ち上げの企画、そして荷物の預かり方まで。たった7分の出番のために「ここまでやるの?」と文句が出るかも、は杞憂でした。
「翠嵐」というキーワードだけでつながる仲間が検討を進めるうちに先輩も後輩もなく、その絆を強いものにしていきました。すべてのメンバーが前向きに自分の担当範囲を組み立てていきました。
半年以上も毎月、日曜日をつぶして実行委員会に出席し、終われば自腹で懇親会を積極的に開いて、またそこで校歌祭について語りあった実行委員メンバー。みな、使命感に燃えて自分の役割を遂行しました。
<練習>
9月から3回の練習を本校視聴覚室において行いました。日曜日にもかかわらず、毎回70人~80人の参加者で席は埋まりました。
指導はおなじみの声楽家熊坂良雄(高12)さん。厳しくもウィットにとんだ指導でみんなをぐいぐいと引っ張って行ってくれました。混声四部合唱が基本ですがその中核をなすのが音楽部の高10回から15回のOBでつくる「アヒルの会」。年間を通して校歌祭のために練習し、自由曲の選曲まで担当していただきました。
ピアノは依田恵子(高25)さん。問題は視聴覚室にピアノがないこと。それを解決してくれたのが久保英道(高19)さん。腰痛にもかかわらず、所有するプロ用の重いキーボードを毎回千葉の自宅から車で運んでくれました。
<それぞれの「校歌祭」>
結集した全員の心が一つになった「7分間」でした。
そこに行きつくまでには参加者それぞれにいくつもの努力がありました。それこそ、誰のためでもない、自分のための努力だったと思います。
それは、かかわったすべての方が「翠嵐」という二文字に込められた自分の青春、思いの丈をエネルギーにして、何の見返りも要求しない純粋な気持ちを持って結集し、なしえたことだと思います。
例えば、「僕は歌が下手だから荷物番をします」と、ステージに上らないのに毎回練習に参加した方。スカーフの縫製を率先して引き受けてくれた方。練習に行けないけど応援には行く、と花束を毎回ステージに投げ入れてくれる方々。彼女たちはいつしか「翠嵐名物花束贈り隊」と呼ばれるようになりました。毎回2時間かけて練習に通ってくれた方。第1回から参加されている最高齢(83歳)の八木大先輩。
一緒にステージに上がって初めて四部合唱で校歌を歌ってくれた渡辺校長、玉井副校長、金井・中津川両教頭。
自分の心のよりどころである「翠嵐」のために自分のできることをする--この力が結集して臨んだ翠嵐会の「第7回青春かながわ校歌祭への挑戦」は終わりました。あらゆる意味で大成功と言えます。
「第8回青春かながわ校歌祭」は平成25年9月28日(土)に県立青少年センターホールで開催の予定です。
(文責:翠嵐会校歌祭実行委員長・馬場洋一)
翠嵐会校歌祭実行委員会
名前 | 回 | |
実行委員長 | 馬場 洋一 | 20 |
実行副委員長 | 加藤 英記 | 18 |
舞台音楽委員長 | 有賀 伸興 | 13 |
音楽担当 | 里見 正憲 | 24 |
舞台担当 | 山崎 俊一 | 21 |
舞台担当 | 文屋 等 | 21 |
応援委員長 | 小西 庸二 | 21 |
応援副委員長 | 藤田 敬 | 20 |
応援担当 | 井口 友好 | 19 |
応援担当 | 樋口 圭 | 42 |
進行委員長 | 長谷川 均 | 18 |
進行担当 | 斎藤 晴雄 | 19 |
進行担当 | 杉原 和子 | 19 |
進行担当 | 川島 洋子 | 19 |
進行担当 | 中島 洋 | 24 |
事務局長 | 山崎 康幸 | 21 |
事務局 | 鵜飼 厚子 | 20 |
事務局 | 上田 恵子 | 20 |
事務局 | 佐々木 泰弘 | 24 |
新聞、テレビ関係の情報
①2012年11月26日(月)の毎日新聞朝刊に青春かながわ校歌祭の記事が掲載されました。
②当日tvk(テレビ神奈川)が取材し、2012年12月21日(金)17:30~18:00の「ニュースハーバー」で放映される予定です。
主催 | かながわ校歌振興会 |
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共催 | 神奈川県教育委員会 |
開催日時 | 2012年11月25日(土) |
会場 | KAAT 神奈川芸術劇場(中区山下町) |
参加同窓会数 | 参加同窓会数:25 出演の順番 24番目(25番目が〈横浜平沼・真澄会〉) |
<翠嵐会参加概要> |
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演目 | 校歌 第一応援歌 自由曲「ドレミの歌」 |
指導・指揮 | 熊坂 良雄(高12回) |
ピアノ伴奏 | 依田 慶子(高25回) |
ソプラノ 25名 アルト 10名 テノール 23名 バリトン 20名 | |
歌唱企画 | アヒルの会 |
応援リーダー | 夏目田(高16)・井口(高19)・藤田(高20)・小西(高21)・近藤(高21)・桜井(高23)・樋口(高42)・戸村(高48) 8名 |
参加者数 | 卒業生:113名 (中30回~高60回) |
来場者数 | 2,137名 |
担当 | 校歌祭実行委員会 |
打ち上げ | ホテルJALシティ関内・横浜(山下町)80名 |