4年ぶりにOB会新年会開催

前回2020年1月26日以来、コロナ禍による開催見合わせが続いていた新年会が、1月21日(日)「北海道」横浜天理ビル店で4年ぶりに行われました。当日は、高校5回から高校42回卒業までのOB・OG32名と、現役チームの顧問臼井先生、監督の吉水先生、保護者会から海野会長・金子副会長・齊藤副会長もご参加くださり、賀詞交換をおこないました。

OB会副会長38回和気の司会進行により、会長24回白倉の年頭挨拶に続き、臼井先生から現役チームの活動報告と、先生の高校生時代に35回篠田聡から英語を教わり、また赴任した上矢部高校では37回宮台監督の元で野球部の担当教師となるなど、翠嵐野球部との縁をお話しされました。続いてキャプテンの父君保護者会海野会長から、日頃のOB会によるサポートについての御礼などご挨拶を頂戴した後、高校5回石川均による乾杯の発声で開宴。

26回小山・36回江川・38回吉田の女子マネージャーが「野球部マネあるある話」で盛り上がり、また来年度復活する見込みの翠平戦に向けOB選手の勧誘が飛び交う一方、疾患・手術・服用薬の博識を競うグループなど、自席を離れて回遊しながらの交流が繰り広げられました。

宴も終盤に差し掛かり、監督吉水先生が「この夏の上位進出のために、春季は必ずや県大会へ進んで夏のシードを獲得します」と高らかに決意表明、OB・OGたちから喝采が浴びせられました。

最後に母校野球部の躍進、そして諸兄姉のご健康を祈念し、14回杉山が音頭を取り三本締めでお開き。三々五々、まだまだ冷たい北風の街へ繰り出して行きました。

*なお、新年度野球部OB会総会は6月2日(日)に母校で開催する予定です。あらためてご案内をいたしますので是非ご参加ください。

翠嵐野球部OB会

横浜翠嵐高校野球部のOBも600名を超える数となった。OB会の名簿では昭和10年卒業生(中学17回)より記録があり、昭和9年の第20回の全国高校野球選手権大会神奈川大会より、神二中での出場試合結果が記されている。

戦後の昭和27年第34回大会では初のベスト16になり、昭和36年の第43回大会では初のベスト8になった。その年は、高校14回の熊木正毅主将を中心に、高校15回の田中則夫投手、石井淳一捕手のバッテリーの活躍で横浜高校を2対0と倒しベスト8に進出し、次の武相高校と3対3の息詰まる熱戦を展開し延長12回にサヨナラ負けを喫しベスト4進出を逃した。当時の監督には高校11回の小川泰祐氏が采配された。

その後、昭和53年の第60回に大会ベスト16へ進出。愛甲猛擁する無敗の横浜高校(渡邊元就監督)が全国制覇した昭和55年春の市長杯では、県立高校である本校が2対1で勝利した。くじ運次第では上位進出もと思われていたその年の甲子園の夏の大会の予選、香椎瑞穂監督率いる日大藤沢に緒戦で惜敗したものの、「翠嵐、日藤に肉薄」「泣くな翠嵐」と各メディアは大きく報道した。

平成2年の第72回大会にベスト16へ、そして平成4年の第74回で2度目のベスト8に進出した。また、平成8年の第78回大会、平成9年の第79回大会と連続してベスト16に進出し、翠嵐のベスト16は近年野球部の夏の大会の目標となっている。

選手の父母会も非常に活発で、帽子やタオル、ウチワ等の応援グッズを工夫され、夏の応援席では生徒と共に激烈な応援がなされている。一方、夏のスタンドの名物であった応援部がかなり長い間結成されず今一つ寂しい思いが続いていたが、校歌祭に出演している応援部の指導で、久方ぶりに応援団が結成され、スタンドではひときわ声援が盛り上がり、野球部の選手諸君も励みになっている。

野球部OB会は20年程前に結成され、初代会長に中学17回の北陽平氏、高校2回の井上清栄氏、高校3回の宇佐美昭八氏、高校4回の菅沼正直氏、そして高校16回の杉浦武胤氏に引き継がれて現在に至っている。OB会は毎年6月の第一日曜日に総会を行い、生徒諸君への激励と共に毎年50万円以上の用具等の支援を行い、野球部の活動に支障のないよう応援を続けている。

また、平成21年より希望が丘、翠嵐、緑ヶ丘、平沼、立野の県立五校によるOB対抗戦(ツースリークラブ)が開催され、他校OBとの親睦も深めている。概ね50歳以上のOBが年一回秋にトーナメント戦を行っている。『翠嵐』の文字が入った現役時代とそっくりなユニフォームも新調し、優勝を目指している。

OB会の更なる発展の為にも仲間を誘い、いろいろな行事に参加していただきたい。