記念誌

記念誌『美なりや翠嵐』

2017/8/16

ついに完成! 創立100周年記念誌『美なりや翠嵐』
創立100周年記念誌『美なりや翠嵐』サンプル

 8年掛かりで編集を続けていた創立100周年記念誌が2014年11月4日の記念式典・演奏会を前に完成し、配付を始めました。すでに全日制在校生の全員・定時制の在校生のうち希望者、教職員の皆さんにお配りしました。2014年8月末日までに募金いただいた皆さま、記念誌に広告を出稿いただいた皆さまのお手元にもお届けしました。

 9月1日以降に募金いただいた皆さまには2015年2月頃お手元に届く予定です。もう少しお待ち下さい。

 記念誌というと堅苦しく難解、というイメージをお持ちの方も多いでしょう。実は私もそうでした。そこでこの記念誌はそんなイメージを一新すべく、気軽に読んでいただける編集を心がけました。

 完成した記念誌は重厚な製本と、編集部の目論見通り、読みやすさが共存するものとなったと思います。往時を偲ばせる貴重な写真、卒業生が学び舎の思い出を語るエッセイとインタビュー、部活動・同好会の活動記録、現役の生徒さんたちの文芸作品、歴代教職員名簿、百年間の出来事など、バラエティに富んだ内容で、親しみやすく読み応えのある一冊となりました。

 なお、本年末までに1万5千円以上の募金をいただいた方にも記念誌を進呈いたします。100年に一冊の記念誌が手に入るこの機会をぜひご利用下さい。

編集長 山本陽史(高29回)

ちょっと立ち読み
コラム 50周年記念レコードでの校歌の編曲と歌い方(第12章より)
 今から50年前の1964年、創立50周年を記念してEPレコードが製作された。(中略)編曲の分担を見ると、前奏と1回目の歌は佐々木氏、2回目の歌は石渡氏、間奏とエンディングが高木氏となっている。この分担範囲も興味深いが、もう一つ注目していただきたいのは歌い方である。「竿かじ干さぬ」の歌い方は、このレコードだと「干」の部分が四分音符で、「さおかじ、ほーさぬ」と「ほ」を伸ばして歌うことになっている。ところが、……(続きは記念誌でお読みください)
ヒストリア部活動&同好会 掲載団体
英語部/演劇部/応援部/音楽部/化学部/棋道部/軽音楽同好会/弦楽部/剣道部/硬式テニス部/サッカー部/自動車同好会/社会部/写真部/柔道部/JRC/書道部/新聞委員会(翠嵐時報)/水泳部/吹奏楽部/体操部/卓球部/ダンス部/電気科学部/天文同好会/ハイスクールYMCA/バスケットボール部/バレーボール部/ハンドボール部/美術部/放送委員会/野球部/落語研究同好会/陸上競技部/歴史地理学会/校内雑誌『翠嵐』に見る部活動の変遷−創刊から昭和二十八年度まで
エッセイ(一部)
◎父の思い出 佐田力(佐田稔第六代校長ご令息)
◎宿命の夫妻 川口恒幸(中21回)
◎戦時下の青春 松本良彦(中28回)
◎最長在学記録 宮原昭夫(高7回)
◎50年ぶりの母校で感じたこと 佐野尚見(高14回)
◎また「三代翠嵐」 石井尚武(高10回)
「翠嵐のあゆみ」コラム(一部)
◎校歌の歌詞はどんな意味?
◎翠嵐とサッカー
◎高木東六、ピアノと出会った二中時代
◎三ツ沢貝塚で土偶発見、発掘に活躍する横浜二中の教師と生徒
◎柔和で骨太なジャーナリスト草柳大蔵
◎軽妙洒脱なエッセイスト青木雨彦
◎生島治郎「暗雲」の男と女
◎昔「翠平戦」なるものがあった!
◎土門拳、半世紀ぶりの母校
◎2009年、高校生クイズ全国大会に出場!
特別寄稿
戦時体制下における横浜二中 水野丈夫(中27回)
生徒会誕生秘史 初沢清和(高32回)
コラム 校歌には2番があった
……実は校歌は2番まであった。現在歌われている校歌はそのうちの1番だけである。1番でも最後の「そこに平和の旗風しるく/そこに文化の実をこそ結べ」はもともと「そこに尚武の旗風しるく/そこに勤倹の実をこそ結べ」という歌詞であった。

続きは記念誌で

頒布価格:1 冊 15,000円以上(送料・消費税込み)

創立100周年記念事業終了後は「翠嵐支援基金」にご寄付いただくことで頒布いたします。
翠嵐会報同封の「翠嵐支援基金」振込用紙の通信欄に「記念誌希望」と記載の上、ゆうちょ銀行にてお振り込みください。
頒布はお一人につき1冊とさせていただきます。

「翠嵐支援基金」振込用紙の無いかたは、下記フォームよりお申込みください。事務局より振込用紙をお送りします。

ご注意:
在庫が無くなり次第頒布終了となります。本ホームページにてご案内します。

備考(2014年当時の案内記事)
記念誌進呈に関する詳しい内容は → こちらをご覧ください。
※記念誌広告募集は平成26年3月31日をもって終了いたしました。
記念誌広告に関する内容は → こちらをご覧ください。

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