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翠嵐会報が発行されました

今年度(平成21年12月発行)の翠嵐会報 第23号は、中学27回卒の水野丈夫様に
巻頭言をご寄稿頂きました。 ご紹介いたします。

中学27回卒 水野丈夫 氏
中学27回卒
水野丈夫
(東京大学名誉教授)

中学27回卒 水野丈夫

 いま私の手元にドイツ語の美しい詩、ウーラント作、『渡し場にて』がある。川はラインかネッカーか。抄訳すると、「その昔、親しい友と三人で一度渡ったことがある。一人の友は静かに生きて世を去った。もう一人は勇ましくいくさの庭で散華した。大事な友の亡き後のさびしい思いが胸に染む。渡し賃だよ、船頭さん、三人分を取っとくれ」。

 顧みて間もなく百年の歳月を刻む「翠嵐」は、まさに、激動の二十世紀とともにあった。横浜二中が創立された一九一四年には第一次世界大戦が勃発し、私たちが中学二年生の一九四一年には太平洋戦争が始まった。母校も歴史の渦の中で戦争に巻き込まれていく。戦争は激しさを増し、兵器工場などへの動員で授業は行われなくなった。そんな中にあって生徒の何人かは、あえて自己の身を投げ出していくさの庭に立つことを選択した。そして、第一線に配備された先輩がたや級友の多くは、再び戦場から戻ってくることはなかった。

 かつて私はこれらの先輩がたに続いて同じ川を渡っていた。海軍兵学校に進学し、江田島で原爆のすさまじい閃光と爆風を浴びた。それにもかかわらず、なぜか死をまぬかれて戦後を生きた。しかし、いくさの庭に倒れた先輩がたや級友のことは片時も脳裏から離れ去ることはなかった。大学を定年になってから、これらの方々の記録を集め始め、十年以上の歳月を費やしてそれを『翠嵐の丘を巣立った海の防人』という冊子に纏めた。これを母校に長く保存していただければと思い、翠嵐会に打診したところ、心温まる前向きのご返事を頂いた。そして贈呈式は二〇〇八年の風薫る五月に行われた。鈴木校長、現職員、翠嵐会役員、翠和会役員、桑島先輩・菊田先輩(中21回)、級友大江君・堀君(中27回)はじめ大勢の皆様に見守られて、この冊子は栗原翠嵐会会長の手にしっかりと渡された。そのとき私が感じたのは、母校と同窓会関係者お一人おひとりの心こもる暖かさであった。今は亡き諸先輩の御霊は平成の新しい川を渡り、「翠嵐」の優しい懐にしっかりと抱かれて安らかにお眠りいただいたものと信じている。

 このことのご縁で、過日、在校生に『教育者・科学者に求められるもの』という題で話をする機会を得た。私たちを乗せた渡し舟である母校は、いまや神奈川県学力向上進学重点校のトップを行く。そんな母校を力強く支えておられる翠嵐会・翠和会の皆さん、そして母校と固い絆で結ばれている全同窓生諸氏のご健勝を念じつつ、「翠嵐」がいつまでも「平和の旗風しるく」前進し、後輩の若者たちが私たちの渡ったような川を渡って戦場に赴くことのないよう心より祈っている。

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