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翠嵐の丘を巣立った海の防人」贈呈式が行われました

贈呈式ご報告(写真入り) 〜翠嵐100年資料収集委員会 会長 桑原 正子〜

堀 恭一氏、鈴木 浩之 学校長、水野 丈夫氏、大江 昭二郎氏
(左から)堀 恭一氏、鈴木 浩之 学校長、水野 丈夫氏、大江 昭二郎氏

 平成20年5月24日、土曜日の午後、新緑の美しい横浜翠嵐高校前のバス停に、横浜第二中学校第27回生水野丈夫氏、堀恭一氏が降り立ちました。二人は正門や本館を懐かしそうに眺め、感慨を覚えていらっしゃる様子でした。

 ほどなく、同期の大江昭二郎氏、第21回生の桑島斉三氏、菊田慎一郎氏も合流しました。先輩の皆様方は、二中を巣立って60有余年という歳月を経て、卒業後初めて再会したのです。
 先輩方は日ごろ、ふとした折々に、校歌に歌われた「美なりや・・」の文言、メロディが常に脳裏によみがえるとのことでした。

桑島 齋三氏、栗原 義昭会長、菊田 慎一郎氏
(左から)桑島 齋三氏、栗原 義昭会長、菊田 慎一郎氏

 その後、先輩方は高校22回生校長鈴木浩之氏、高校10回生翠嵐会長栗原義昭氏、副校長川口吉秋氏、教頭渡邉哲也氏の案内で、校内を参観しました。

 次に、母校本館1階の応接室で、このたびの大きな目的、二中先輩方作成の調査報告記録集「翠嵐の丘を巣立った海の防人」の贈呈式が挙行されました。
 初めに、水野先輩から、贈呈の趣旨「横浜第二中学校から海軍兵学校に進学し、海軍の活動とともに祖国の礎になった有為の若者が生きた証を母校同窓会に長く大切に保存していただきたい。」と述べられました。

 大部な報告書が、翠嵐会長栗原義昭氏に贈呈されました。

  • 贈呈式
  • 報告書

 報告書は、濃い群青色のハードカバーの体裁で、大きさはA4サイズ、本の厚さは1cmにもなります。表紙には金文字で「翠嵐の丘を巣立った海の防人」と記載されています。
 次に、同窓会長の謝辞「有為の諸先輩の貴重な記録を同窓会に大切に保存したい」、校長の挨拶「先輩方の優秀な遺伝子が平和な時代であれば日本国の推進力になったことを現役生に話し、確かな生き方を考えるきっかけにしたい」をいただきました。

  • 報告書
  • 報告書

 引き続いて、参加の方々からコメントをいただきました。

桑島氏「中学21回生が海兵進学の頃は、まだ戦時体制ではなかった。戦況が厳しい中、有為の若者が戦地に赴いた記録である」

菊田氏「二中卒業後に海兵に進んだ同窓生の貴重な報告贈呈式に参加できて感謝している」

翠和会吉崎千秋副会長「縁あって娘が翠嵐高校3年に在学中。今回の贈呈式に同席できて感動している」

翠和会山本陽史前会長「二中校歌の歌詞の2番は歌わない時代になった。在校生・同窓生に今回の贈呈のことと併せて考えるきっかけにしたい」

堀氏「水野氏がこの件に没頭して完成した熱意に、感動している」

大江氏「父の戦死、兄も戦地へ行くという時代を経て、今日があることを感慨深く思う」

 ここで、所用のため、桑島氏、菊田氏が退出しました。

 引き続いて、懇談が続きました。

 堀氏から「大平凡主義の方針があって、そのおかげで美学に関心を持つようになったことに感謝している」という話がありました。
 会長から、恩師の先生方との交流の様子やニックネーム等の紹介も出ました。
 続いて、校歌が話題となり、川口副校長、渡邉教頭が用意してくださったので、校歌のCDを聞いていただきました。

 会長から、山本氏が本年3月の卒業式のあいさつで「戦前の校歌の2番は歌わず、1番の中の文言を一つ変えた意義について」の話があったことを披露されました。また、会長から、現在、県下の高校23校で校歌祭をしていること、翠嵐高校では一部変更だが、他校では戦前の校歌が禁止になったことの話がありました。

 先輩方が校歌を聞いている間、少し紅潮した顔から「美なりや・・・」と合唱された同期・同窓の皆さま方への哀惜の念、懐旧の気持ちを強く感じていたとお察ししました。

 校長から、現在の学校の状況について資料とともに、「現在、県下の成績優秀校となりつつあること、東大進学者数では一位であること、勉学だけでなく、部活動・スポーツにも力を入れて、バランスの良い学校生活をするよう指導している。蔦澤前校長の時から広報誌を作って、県下に翠嵐進学者が増えるように働きかけてきている。教職員はいろいろと苦労しているが、今後は、最も大切な授業改善に力点を置いてもらえるようにしていきたい」と話がありました。

 学校が準備した資料は「平成20年度 学校目標」をはじめ、「学校要覧」「翠嵐で拓く君の未来」「翠嵐 平成20年度入学者選抜説明会資料 選考基準 自己表現活動 独自問題」「平成20年度前期選抜 自己表現活動検査用紙」「平成19年度 分野別職業講話 講話内容一覧」「神奈川県立高等学校学力向上進学重点校合同説明会」「平成19年度卒業生 進路結果(現役)」「県内公立高校志願状況 新聞資料」「伸びた高校全国ランキング」「平成20年度 離職者 着任者一覧」、そして「創立80周年記念 絵ハガキ」でした。

 翠嵐会長からも、本日の記念にと「神奈川県立翠嵐高等学校創立90周年記念 翠嵐時報縮刷版(1983−2003)」を贈呈していただきました。

 また、川口副校長が準備した「横浜第二中学校27期生の思い出」の中に、「水野氏の二中卒業証書」の写真がありました。水野氏のお話によると「私は二中5年生の10月に海軍兵学校に行ったので、卒業式の日には江田島にいた。それにもかかわらず、学校は二中卒業証書を授与してくれた。先生方のご温情とご思慮に深く感謝している」とのことでした。

 翠嵐100年資料収集委員内田氏が、先輩方に、学校保存の資料目録と資料写真集をご覧にいれて、今後の協力をお願いしました。合わせて、内田氏が滝沢初代校長について詳細に調査していることも紹介しました。

水野 丈夫氏
水野 丈夫氏

 最後に、資料収集委員小野塚氏から「巷間では理科離れ、学習意欲の減退という一部の現代高校生の風潮があるとのことだが、どうしたら先生のように医学、生物への研究者になることができるのでしょうか」という質問がでました。

 その際、水野氏が「感受性の高い年頃の生徒なので、教える教師自身の学問に対する熱烈な興味と情熱こそ、生徒の学習意欲を高める根本である。教師が自分の専門についてしっかりと話すことによって、生徒の興味・関心、問題意識をおのずから引き出す」と力説されたことが強く印象に残りました。堀氏、大江氏からも「大いに勉学をするよう勧めてほしい」との言葉もありました。

 まさに、戦後の日本の自然科学系の教育研究にまい進され、大きな業績をおさめられた水野氏が、後輩に贈る大いなるメッセージというべきものでした。戦争の時代には、有為の若者が研究がしたくとも出来得ずに人生の半ばで終止符を打たねばならなかったという無念の思いを、記録集贈呈によって、少しでも感じてほしいと願っていると推察するところです。

 現在、母校は横浜翠嵐高等学校となりましたが、正門や本館のたたずまいは、きっと、水野氏はじめ、堀氏、大江氏、桑島氏、菊田氏の思い出に残る「美なりや・・・」と重なるところがあったことと、合わせて推察しています。

 水野氏・堀氏・大江氏が、再会を約して、退出となりました。
 以上、学校・同窓会・翠和会とが連携して、有意義な「翠嵐の丘を巣立った海の防人」贈呈式となりました。

平成20年5月24日
翠嵐会副会長・翠嵐100年資料収集委員会会長 桑原正子

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